あいさつ

吉岡 創(よしおか はじめ)牧師

1970年、倉敷の牧師家庭に生まれました。子どもの頃はやんちゃで、中学校までは野球少年、高校ではバンド少年(ドラム担当)でした。

高校2年の時に転機が与えられ、卒業後、新聞関係の会社で一年働きながら教会に仕え、1990年に東京基督教大学(TCU)へ進学しました。

TCU卒業後、1994年に岡山聖約キリスト教会に副牧師として就任。翌1995年に広江聖約キリスト教会に牧師として就任。

1998年からは3年間、米国シカゴに留学しました。2001年に帰国、南輝聖約キリスト教会に牧師として就任。2009年からは広江聖約キリスト教会も兼任しています。

その他、刑務所の教誨師、未来をあかるくする会おかやま、YMCAせとうち、岡山キリスト災害支援室(岡キ災)、異端カルト110番などの働きも担っています。また、岡山のキリスト教史について調べています。

家族は妻と子どもが3人。趣味は、釣りと包丁砥ぎです。

⛪️私が教会に来たキッカケ⛪️

私は5歳の時に母と弟と一緒に初めて教会に行きました。中学生の時に洗礼を受け、短大卒業後、教会付属の幼児園で幼稚園教諭として働き、結婚を機に岡山にうつりました。

結婚当初は主人以外誰も知り合いがいなくて、慣れない土地での生活もあり、不安な気持ちがありましたが、教会の方々の温かさに心がホッとし励まされ支えられました。

私が温かく迎えてもらったように、今度は私が温かくお迎えできますように…と祈りつつ、毎週礼拝に集っています。

あそこの教会に行けば、卓球も出来るしお菓子も貰える。私が教会に行くきっかけになったのはこんな簡単なことでした。友達と遊ぶ場所と言えば家か公園ぐらいでした。

そんな時に教会の情報を得て遊びに行くようになりました。小さいことも幸いし教会に行く事に抵抗なく、「遊べる場所」という感覚でした。しだいに行くことが当たり前のようになり教会の(神様の)話を聞くうちに揺るがないものを得られ、現在も遊べる場所であり、「大切な場所」になっています。

私は、キリスト教とは無縁の家庭で育ちました。カトリック系の大学に入り、そこで受けた授業で初めて聖書を読みました。「真の自分に出会うための人間論」(当時)という名前の授業でした。

先生は「ヨハネの福音書13章」のイエス様が弟子の足を洗われた箇所を読み、その行為とは、本当の人間の、私たちの汚れた部分をすべてさらけ出し、初めてイエス様と関りをもつ象徴的な愛の行為だと教えられました。

「自分の汚れた部分」など分からなかったのですが、聖書の様々な箇所を読んでいくたびに、私たち人間の弱さ、醜さ、罪な部分を感じ、自分もそうなのだと感じ始めました。また、弟子のペテロがイエスを裏切る場面(ルカ22:61)も私の中に強く残りました。「主は振り向いて、ペテロを見つめられた」振り向いた主イエスはどのような表情をしていたのだろう…。

もっと聖書を読みたいと思うようになり、自宅からそう遠くない南輝教会を訪れました。礼拝に集い、牧師夫妻との学びも重ねました。聖書はまさに「真の自分」との出会いですね。振り向いたイエス様の表情は、人間の弱さ・醜さを知り尽くし、「そのためにわたしが来たんだから」という愛のまなざしの表情だったのでは、と思います。

 私は5年前、生きていることに何の意義も見出せなくなり自死を選び川へ飛び込みましたが死にきれず、幼少の頃に母親がノンクリスチャンながら私を連れて教会を訪ね牧師に救われた時のことを思い出して教会に行きました。

その教会にハンガーゼロの近藤総主事がいらしたことがきっかけで当時発生した西日本豪雨のボランティアとして倉敷に来てベースになった広江教会に宿泊したことがその後の受洗へとつながりました。近藤氏との出会いや吉岡師はじめ温かく迎えてくださった教会の皆さんに感謝しかありません。

神様に出会えて本当に良かったです。また、次に救われる人が起こされることを祈っています。

私はクリスチャンホームで産まれ大阪で育ちました。思春期の時は、教会から離れてしまっていた時もありましたが、結婚を気に今では人生で1番マジメに教会生活を送っています。

岡山に引っ越しすることになり、父が岡山まで通い教会探しを手伝ってくれました。いくつか教会を巡って、南輝教会と出会いました。アットホームな牧師先生や教会の雰囲気に、ここなら通えるかもと第一印象で決めたことがきっかけです。今では子ども達も毎週の礼拝を楽しみに通っています。